忙しいのにっ
 自分の意思でどうにもならないことがある。ある休日に私は早起きした。明るい空を見て考える。今日はなにをしよう。部屋の片付け、音楽鑑賞、読書、食事はもちろん、課題だってやりたい。なにしろ時間はたくさんある。だが気がつくと、本当に私の意思ではなかったが、布団の上で寝ていた。夜六時だった。

 この経験には二つの教訓がある。一つは「眠い」と感じてもすぐ寝室に行かず、体を動かして堪え忍ぶべきだ、ということ、もう一つは眠くて思い出すことができない。

 こういった「忙しいのに寝てしまう」は恐ろしい現象だが、実は「忙しいのに雑誌を読んでしまう」「忙しいのに長電話してしまう」「忙しいのにパソコンをつけてしまう」といった経験なら私以外にも覚えがある人が多い。また「忙しくないのに『忙しい』と言ってしまう」も重なることがあり、こうなると忙しいと言う忙しくない人が忙しいこともあり、忙しさは忙しいでは計れない忙しさを持っている。

 残念ながらほとんどの場合、「忙しいのに、してしまう」は批判の対象である。「忙しいのなら働きなさい」と怒られてしまうわけだが、「忙しいのに」を工夫することで批判を退ける可能性についても述べてみたい。

 「忙しいのにおばあさんの荷物を持ってしまう」「忙しいのに溺れていた子どもを助けてしまう」は正義からのアプローチである。正義は強い。例えば「忙しいのにおばあさん」ではおかしい。正義が加わってこそ、話は進む。
 また、「忙しいのに日本一周してしまう」「忙しいのにわんこそばを頼む」「忙しいのに金箔を貼る」などは「忙しい」どころでないぞ、と相手を煙に巻く方法で、これも効果的と言える。「忙しいのに結婚してください」などは相手に気をつけないとカメレオンやムカシトカゲと結婚することになるが、使いどころを間違えなければ有効である。

 しかし「忙しいのに」とハ虫類へ釈明する状況、それ自体が暇に見えてしまうのは隠しようもない。


[前] [次] [雑文] [トップページに戻る]
inserted by FC2 system