見出しについて
 注文を待つ客のため、食堂に新聞や雑誌が置かれている。しかしその品揃えは難点である。めぼしい品が出払ってしまえば残っているのは「やはり」というものが多い。

 あるときは、「アンパンマン まちがいさがし」とスポーツ新聞しかなかった。微笑みのアンパン。流石にスポーツ新聞にしたが、スポーツを知らないためまったく読むところがない。せめて、「天声人語」のような記事があるかと思ったがそういうのも見当たらない。私はてつぱうだまのやうに外へ飛びだしたくなったがどうにもならず、残っていたのは新商品のみぞれカツのメニューだけだった。私はそれを読んだ。780円、780円、7――。

 しかしスポーツ新聞と言えばその見出しである。「結婚/か」。そもそも新聞の見出しとは「簡単に記事の内容を把握する」ために作られたもので、それを逆手にとり「簡単に記事の内容を把握しようとした人に誤解を生む」のが、「結婚/か」の狙いである。これがもし「か/結婚」では「か」が結婚したと言うことしか分からない。かさんは夜なべーをして。

 見出しは「よく読むことの大切さ」を教えてくれる。誤解を生まないように「よく読むこと」。言い換えるなら「よおく読むこと」「たーんと読むこと」「せかいでいっちばん、いーっぱい読むこと」をである。

 自分でも意味が分からないと不安になってくるがひとまず「よく読むことの大切さ」を私は言いたい。とかく間違いというのは表面だけ見て考えたときに起きる。前から血のついた包丁を持って人が現れると恐ろしいが、よく見ると包丁が刺さっていただけで安心することもある。いやない。

 何事もたくさんの情報を、多面的に深く見ることが肝要になる。見出しだけ見れば丸だった物体も、上下左右から見れば円柱だったと分かる。触ってみれば硬軟も判断できるだろう。食べたときにはうまい棒だ。重要なのは、見出しだけを信じすぎないことである。

 私も以前「オードリー・ヘップバーンの名言」と見出しの付いたウエブページを読んでいて、こんな名言を見つけた。

「オランダにはこんなことわざがあります。
 『くよくよしてもしかたがない。どのみち予想したとおりにはならないのだから』
本当にそう思うわ」

 それは名言というよりその、オランダのことわざではないか。


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