私が覚えているのは、「かしら」の間違いである。おそらく小学生だったころ、私は「かしら」は女性だけが使う言葉だと信じ込んでいた。今でこそ「かしら」の出る古い小説も読むものの、当時知っていたのは星新一や児童文学といったところで、「かしら」を男性が使うとは思いもしなかったのである。
なので、「ドラえもん」を読んでいて、のび太が「かしら」と言ったときは大いに疑問を覚えた。もちろん「おかしら、ぐへへへへ」などの文脈なら納得もいったが(いくのか)、それは頭ではなく「ピストルかしら」(「無人島へ家出」より)といった具合だったので、余計に悩んだ。ピストル頭でないことはわかったのだ。
父へ聞いた。
「のび太って、女みたいな話し方せん?」
「えっ、え?」
こんな質問をされて父も大変である。私は追求した。
「なんか、女みたいな」
「ああ、ほら、のび太の声は女の人がやっとるから」
今だから分かるのだが、父は「ドラえもん」のアニメの話と採ったのだ。そしてのび太の声優は女性の方であるから「女みたいな話し方」も当然だと考えて、そう答えたのである。
けれど私が思ったのはこうであった。
「のび太は女」
子供は恐ろしい。わけが分からない。つまりは「のび太=男」よりも、「かしら=女」のほうが強かったせいでそう思ってしまったわけである。「どう見ても男だけど、でもかしらは絶対女だよなあ」みたいに。
この前映画を見ていたら、関根勤が「オカマ役」で出てきたけれど、このときは流石に「関根さんは女」とは思わなかった。私も成長したものだと思う。そんなことなのか、成長とは。