杖をとれ
 低学年の遠足は、「公園に行ってお弁当」で済んだ。高学年になると山を登らされた。運動と言えば、おもちゃを投げる遊び、「無茶苦茶」くらいの私と友人たちの意欲を削ぐように、小学校のシステムはできていた。
 と、こう始めると運動音痴の私が遠足を呪った話を想像される方があるかもしれない。しかしそうではない。運動音痴で方向音痴で音痴なのは事実でも、私はあのとき山道を駆け上った。そこにはためらいなどなかったのだ。

 実は、遠足のあと作文を書くことが決まっていた。私はそこに努力をアピールするために、頑張っていたのである。途中でちょっと疲れそうになり、けれど級友の励ましを受け止め、頂上に着いたとき、すっかり疲れもなくなっていたのさ、というところまで万全に計画を立てていたのである。

 ところが、思った以上に体力がなかった。息が苦しい。気がついたときには、級友の背中は豆のようだった。あれ。おい、励ましはどうなったんだ。おい。おーい。先生も見えなくなる。女子も去っていく。

 そうして、私は牛後に落ち着いていた。周りを見渡してみると、似たような挫折組がまずいた。ぜえぜえ具合からすぐわかる。その傍らに、最初から怠けていた組、さらに、なんとなく組などがいた。皆どうしようもない奴らである。憂うべきことだと思いながら、私も同化した。ほかに方法がなかったのだ。

 しばらくすると、中の一人、稲本が枝を拾って言った。
「杖だっ」
 なにを言っているのだ、こいつは。みんな呆れてしまった。呆れはてた。しかし、羨ましかったので、枝を探しはじめるのであった。数分もすると、木の枝を持った少年、いや木の杖を持った、頭の悪そうな少年たちが、あちこちに出現していた。

 正直、そこに杖の効果はなかった。むしろ無理に枝をつこうとしたため腰が直角のような状態(ちょうどおじいさんコント風)となって疲れを倍増させたのであるが気分だけは高揚していた。
 牛後でもいい、頂上へ行こうじゃないか。めざせ頂上。私たちはいつしか山を登り切っていた。感謝の言葉を「杖」に送った。見る風景、とる食事、どれも素晴らしく感じられた。

 が、帰り道にはその「杖」効果も消え失せ、ただの木の棒となっていた。私たちは山道にそれを放棄した。観察してみると、道のあちこちに似たような枝がいくつも落ちている。みんなきっと、同じなのであった。


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