考えるテレビ
 知人とテレビを見ていると、バレーボールの女性選手が映った。ドキュメンタリーのCMだったのであるが、はつらつとした美人でつい見とれてしまう。しかし神聖なスポーツかどうかはいざ知らず、そういうものを、ああいう視点で眺めていいものか。それに、知人の手前である。私は仕方なくバレーボールファンのふりをして、良いボールですね、と画面を眺めることにした。
 やがて、ナイスアタックです、とばかり知人を横目でうかがうと、彼は下を向いてスマートフォンを触っていた。私にもテレビにも興味はなかった。
 こういうとき、人は考える。「俺はなにをやっているんだ」。

 テレビを見ているとそのように、いろいろなことを考える。しかし、その考えはつづかない。テレビは情報を次々に流す。その中で考えごとを維持しつづけるのは難しい。「平和は大切だ」と戦争特集を見て思っても、あっナチスの戦闘機だ、格好いい、と次の瞬間には感じている。そして、戦闘機の写真集を買ってきて、模写したら楽しいだろうな、でも、そんな時間ないかな、いや、時間は作るものだ、そうだ、時間、作ろう、京都、あ、今日の夕飯なんだろう、と夕飯の話になっていたりするのである。

 だが例外がある。コマーシャルへの考えごとだ。何度も放送され、そのたびに前回の考えごとを呼び覚まして強化していくため、記憶に残る確率が段違いなのである。

 あるときは歯磨き粉のコマーシャルだった。
「わあ、ぴっかぴか!」

 歯のアップが写っている。こういうのはどう撮影するのだろう。歯医者さんでレントゲンをとるが、ああいった専用のマシーンがあるのだろうか。それとも、普通のカメラをどんどん口に近づけていくのか。角度によっては口からカメラが発進するように見えるかもしれない。ごごごごご。実にちょっと、奇妙だなあ。

 というかあれはCGだろうが、そういう他愛のないことを、コマーシャルを見るたび強化していた。本当に人はいろいろ考える。ならば逆に、テレビを見なければ、まともなことだけ考えていられるのだろうか。
 それはあり得ない。私は今テレビをつけずにいるが、あのドキュメンタリーの放送日、そればかり気にしているからである。


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