迷い購入
 古本や中古レコード、さらには骨董美術の域に至るまで、なにかを「収集する」世界にはひとつの共通思想があり、それは「迷ったら買え」というものである。例えばそれは私が初めて「月刊歌謡曲」という雑誌を買った中学生のころにもあった。
 私は街の古本屋で「月刊歌謡曲」がたしか八冊ほど並んでいるのを見つけた。ぱらぱら眺めた末買うことを決断したが一冊四百円ほどで、当時一回の買い物で千円使えば豪華、という感覚だったから、いきなり全部買う勇気はない。仕方なく見比べて、好きなバンドやアイドルの楽曲が少しでも多く載っている号を買おうと、ためつすがめつして、その日は中山忍が表紙の号を一冊だけ買ったのだった。
 それから、街へ出る機会があると古本屋に寄って残りの号を少しづつ揃えていたが、四冊買ってしばらくして五冊目を買いに行ったとき、もう残りすべてが消えていたのだった。私は愕然とした。それから時間もずいぶんながれ、私はほとんどずっと「月刊歌謡曲」を探しているのだが、今手にしている総数はやっと七冊といったところで、いまだあのときの八冊並んだ光景にさえ手が届かないのである。
 「女房を質に入れても初鰹」とは、ずいぶん毒のある川柳であるが、こうした、無茶をしてでも買っておいたほうが良いものと言うのは世にあって、なにしろ、それが一点物に属すのであれば、それは、「今」でないと「二度と」買えないものなのかもしれない。
 もちろん、「買いやすい、買いにくい」と「必要、必要でない」はまったくちがう軸の物事である。二度と手に入らないとはいえ、レシートを多くの人がもらわずに捨てていくように、あるいは、ジャズの名盤のように再販をいつだって買えるけれど素晴らしいもの、もたくさん世にはあるのだから、「一点物」はすべからく買うべき、という話ではない。あくまで「迷ったら」買え、なのである。
 そうして「買え」と買ってしまったものには、あとから「なんでこんなもの買ったんだ」と思ったり、積み上がった本とそこへ吸い込まれたお金を思うといささか損したような気がしたりすることもあるが、やはり、迷っていたあの狭い通路の空間や、隣りにあった古いカメラ雑誌のことを思い出したときには、まるで、真っ昼間の帰り道のような楽しい気分が蘇りもするのだった。でも、例えば本棚の、「世界の魚雷艇」が実際いるのか、と言われると、まあ、そういうことである。
[前] [次] [古書コラム] [トップページに戻る]
inserted by FC2 system