迷い購入
 古本やレコード、骨董美術の域に至るまで、収集の世界には共通する思想があり、それは「迷ったら買え」である。たとえば私が初めて「月刊歌謡曲」という雑誌を買った中学生のころだった。
 街の古本屋で私は80年代の「月刊歌謡曲」が八冊ほど並んでいるのを見かけた。ぱらぱら眺めた末買うことにしたのだが、一冊四百円ほどで、当時一回の買い物で千円使えば豪華、という感覚だったから、いきなり全部は買えない。見比べてみて、好きなバンドやアイドルの楽曲が少しでも多く載っている号を買おうと、ためつすがめつして、その日は中山忍が表紙の号を一冊買ったのだった。
 それから、街へ出る機会があると古本屋に寄って残りの号を揃えていたが、四冊買ってしばらくして五冊目を買いに行ったとき、もう残りすべてが消えていたのだった。私は愕然とした。それから時間もずいぶんながれ、私はほとんどずっと「月刊歌謡曲」を探しているのだが、今手にしている総数はやっと七冊といったところで、いまだあのときの八冊並んだ光景にさえ手が届かないのである。
 ちなみにこのときの四百円という価格は、結構破格だったのかもしれない。意外と八百円とかで売っていることもあり、見つけても、購入をためらってしまうことがある。
 「女房を質に入れても初鰹」とは、ずいぶん毒のある川柳であるが、こうした、無茶をしてでも買ったほうが良いものと言うのは世にあって、なにしろ、それが一点物に属すのであれば、それは、「今」でないと「二度と」買えないものなのかもしれない。
 もちろん、「買いやすい、買いにくい」と「必要、必要でない」はまったくちがう軸のはなしである。二度と手に入らないとはいえ、レシートを多くの人がもらわずに捨てていくように、あるいは、ジャズの名盤のように再販をいつだって買えるけれど素晴らしいもの、もたくさん世にはあるのだから、「一点物」はすべからく買うべき、という話ではない。あくまで「迷ったら」買え、なのである。
 そうして「買え」と買ってしまったものには、あとから「なんでこんなもの買ったんだ」と思ったり、積み上がった本とそこへ吸い込まれたお金を思うといささか損したような気がしたりすることもあるが、やはり、迷っていたあの狭い通路の空間や、本が輝くように見えた棚の姿を思い出したときには、不意にまるで、真っ昼間の帰り道のような楽しい気分がいっしょに蘇りもするのだった。でも、例えば本棚の、「世界の魚雷艇」が本当に必要だったのか、と言われると、まあ、そういうことではある。
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