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1月の春日記


2015年01月01日(木)

 明けましておめでとうございます。2015年ですね。
 今日は正月なので正月デザインにしてみましたよー。テーブルでちょいちょい作ったので、細かく見たり、ソースを見たりするのは勘弁してください。ほら、新年ですからね。ね――。

 そういえば「新・100の質問」の記事を見てもらえるとわかるように、お兄さんに名前がつきました。前まで春管でしたが、今日から高目ということで一つ。

 まあそういう風に少しずついろんなことが変わっていく新年ですが、本年もよろしくお願いいたします。

春ショは本日で「一周年」です。
みなさまのコメントや交流のおかげで続けてこられた部分が非常に大きいです。ありがとうございます(最敬礼)。
みなさまの新年がよい年になることをお祈りしつつ、今年も変わらぬご愛願のほどを。

2015年01月02日(金)

 年賀状が届きはじめました。お兄さんは「なにやってるのかわからないけど、頑張れ」といった文面を読んで、新年から暗い顔をしています。頑張ってください。

 そういうわけで、格付けチェックを見てみたり、アンガールズで大笑いしたり、駅伝を眺めたりしている年明けですが、ちょっとした発見をしました。

「掃除機を持つと、強くなった気がする」

 まるで銃を持ったときのように、掃除機を持つと気分が上がります。埃の運命を手中にする喜び。そして掃除だけが捗り、正月休みはだんだんと減りつつあるのです。

2015年01月03日(土)

 ひきつづき掃除の話題ですが、よく言うことに「掃除をすると発見がある」というものがあります。十円玉が出てきたり、そういうのです。

 自分もいろいろ見つけました。
 例を挙げれば、「なかよし」(雑誌)や「竹とんぼ」(雑誌でない)など。なぜに竹。思わず飛ばしてみましたけれど。天井に当たってガンて言いましたけれど。

 また、メンタルクリニックでもらった「精神病のてびき」や「漢方のてびき」。「イラストレーション 宇宙光(スペースライト)」なる自作のイラスト帳も出土しました。宇宙光て。

 SF雑誌みたいです。

2015年01月04日(日)

 帽子屋さんで福袋を売っていました。

 「帽子が四つ入っています!」

 「ねえ、最近部長、毎日別の帽子被って出社してこない?」
 「ホントね――あ、でも木曜と金曜のは同じだったわよ」
 「なんだかよくわからないわ」
 「まるで、帽子を四つだけ持っているみたい……」

 部長の謎は解けました。

2015年01月05日(月)

 インターネットサーフィンをしていて、面白いサイトに着くことが多々あります。中には今調べていることと関係はないけれど、気になる、というものも。
 そういったサイトは、ひとまずブックマークへ入れることにしています。暇なとき、そんな一覧を見返すのもまた楽しからずやです。

 しかし、問題は量。一度入れると削除するのが惜しく感じられ、ブックマークが溜まっていました。今日は一つをここに記し、断腸の思いで削除しようと思います。

 

 「コードレス草刈り機 刈ってミーナ」

2015年01月06日(火)

 「どんな鳥だって、想像力より高く飛ぶことはできない」といったのは寺山修司ですが、人間いろいろなことを想像するものです。

 それは社会を動かす発明、また世界を救う医術へつながるかもしれません。人を楽しませる小説、高尚な絵画。どんなものであれ、その始まりに「想像」があるのは確かでしょう。

 私もよく、「町で銃撃戦が起こったら」と想像力を飛翔させています。
 まずテーブルを倒すことで空間を作り――。

 ひとまず家を出よう、と思いました。

2015年01月07日(水)

 「開け放しにしないで下さい」のドアが開け放されていました。
 マンションの貼り紙ですが、管理人さんはどうしてそう書いたのでしょう。

 最初に浮かんだのは空調です。暖かい風が逃げるのを防ぐ。が、例のドアは廊下へつながるだけのようで、すると空調というのは少し。
 ほかに「内部を見せたくない」も浮かびましたが、これも同様に否定できます。廊下に大した秘密はありません。

 そして残った結論は、「あのマンションは冷蔵庫だった」。

 道理で涼しい風も吹いていました。

2015年01月08日(木)

 「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂」。コマーシャルソングの嚆矢です。

 この手の歌は「心に残る」を目的としているため、いくつかの弊害を引き起こします。

 昨日も「四つに分かれる本棚で~」とか歌ってしまいました。その先は覚えていなかったので、適当に誤魔化したものの、家族に一部始終を見られており、焼かれる思いでした。

 広島の百貨店「福屋」の例もあります。こちらは最後まで歌えたのですが、後日の放送で歌詞を間違えていたのに気づき、また業火でした。

 コマーシャルソングの難でしょう。それか、記憶力の難です。

2015年01月10日(土)

 先日バスに乗りました。「もしやネタが」と期待したのですが、乗客が自分以外一人、という場末の映画館のような惨状で、ネタの出ようもありません。

 また、後半の停留所から増えた乗客もご老人、おばさん、おじさんなど。そして静かに窓の外を見ています。平穏です。

 仕方なく小さくなって清水義範を読んでいると、目的地に着きました。それで気づいたのは、てっきりバス停からすぐだと思ったのは間違いで、実際は二キロ歩かなければいけなかったのです。

 私は、二キロて意外とあるなあ、と歩き続けました。

2015年01月11日(日)

 一般に、しりとりでの文章は許されざる存在です。「りんご」「ゴール決まりましたー!」「それは駄目」と、こういうことになります。
 しかし次のケースを見てみましょう。

 「りんご」「ごはんですよ」

 ううむ。判断の分かれるところですが、商品名なのでオーケーとされる場合も多いように感じます。その際、大切なのは言い方です。

 「りんご」「ごはん、あっ」「あっ、今『ん』て!」「ち、違うよ。ごはんですよ、なんだよ」

 それは無理が。

2015年01月12日(月)

 机の上に東京スカイツリーをかたどった小さなボールペンが置いてあります。東京へ行ったときの土産物で普段はすっくと立っているのですが、いかんせん安定が悪い。

 ちょっと揺れるとパタンと倒れてしまいます。それで思うのです。

 「東京スカイツリー、崩落」

 イメージではゴジラ的なやつが、スカイツリーをめりめりとへし折って地面へ投げています。逃げ惑う町の人々。現実はボールペンが倒れただけなのですが。

 これは「蟻さんだって生きてるんだよう」系教育の弊害ではないか、と自分は思います。感情移入もたいがいです。

2015年01月13日(火)

 「何枚着てる」と聞かれても。

 思い起こせば小学生の時分ですが、「何枚着てる」の問いかけがありました。Tシャツ、セーター、上着、等々。今ではよく分かりません。「三枚」や「四枚」と答えることになんの意味が。
 フリーメイソンの握手的なことでは(恐らく)ないですし、ドラえもんにのび太が大量の厚着をして笑われるはなしがあったので、そこらへんが答えなのでしょう。

 と、二十世紀の人は納得しましたが、現代の我々には、そう、パソコンです。インターネットです。

 早速「何枚着てる」で検索しようとすると、検索候補に「何枚着ても寒い」とあって、笑いました。

2015年01月14日(水)

 家族が消火器を持ってきました。

 私「消防署から来ました、で買ったん」
 家「消防署の方から来ました、じゃろ」

 ツッコミが適切でした。

 しかしどうして消火器を、と聞いたところ、前買ったのだがこの度交換が必要とのこと。なんだか永久に使えるような幻想を抱いていましたが、そんなことはありませんでした。

 つまり、遠い未来、砂漠に埋もれたこの町で少年たちが消火器を見つけ、それを武器に政府軍と戦い始めることもないみたいです。暗黒の未来。違いますけれど。

2015年01月15日(木)

 ピンポンが鳴ったので、画面を見ると宅配便でした。それなら出ます。

 いそいそと半纏を羽織り、ドアを開けて悟ったははんこ。はんこがありません。ええー。
 「ここに印鑑かサインを」
 「あ、あのサインで」
 「はい」

 ペンを渡してもらったまでは良かったのですが、そこから宅配便の方の様子は急変。服のあっちを探したり、こっちを探したり。ま、まさかサインを選んだばかりにひどく面倒な展開が――。

 やっとのことでサインを書く紙をいただいたときは、もうオールすみません状態でした。

 また、そんな苦労の末の荷物は母のもので、まったく自分と関係なく、余計に脱力しました。

2015年01月16日(金)

 会員登録のとき、長い注意事項を読まされ、「はい」にチェックを入れないと先へ進めない。よくある展開です。私も一応目は通しますが、ざっとという感じであまり真面目に読んではいません。

 これ、悪用できるのではないでしょうか。例えばこんな一文を忍び込ませるのです。
 「そっと見守っていてくれますか」
 「はい」

 会員増加とともに増えていく励まし。素敵です。また、「毎日鹿の真似をしている」「はい」なども面白いと思います。楽しみ方は無限大!

 ――もし捕まったら、そっと見守っていてくれるようお願いいたします。

2015年01月18日(日)

 「バケツをひっくり返したような雨」。
 ここに大きな違和感が隠されていると皆さん、お気づきでしたでしょうか。

 ポイントはバケツの水の有限。ひっくり返した直後はザバアと流れても、すぐに水はなくなり、雫を落とすだけになってしまうはずです。
 突然大量の水が落ち、直後にやむ。それは雨ではありません。罰ゲームです。

 ここは「バケツをひっくり返し続けるような雨」と言い換えるのはどうでしょうか。慣用句間違ってるよ、と叱られるかもしれませんが、そのときはバケツを持って廊下に立てば大丈夫。大丈夫です。

2015年01月19日(月)

 昨日は病院へ赴きました。お見舞いだったのですが、相手は足が悪いだけでほかは元気、というあまり切迫感のない感じでした。まあその方がいいですけれど。

 ただ、元気とはいえ、病室の寝台にいる様子にはどこか寂しいものがあります。退院にはもう少しかかるみたいですし、なんだかいろいろと考えさせられました。もし自分が入院することになったりしたら、一体どうだろう、とか、私はなにをしてきたのか、とか。

 ところで、マスクの自販機を見つけました。二枚百円。高っ。しかしググってみるとマスク自販機そのものは十二万円で手が届かないこともありません。家にも置けます。お見舞い品にも最適。いやそれは。

2015年01月20日(火)

 自宅で本を読んでいると眼前を飛ぶ虫。一応最初はスルー対応でした。

 が、こちらが下手に出たのに気を良くしたか、虫の挑発は始まったのです。周りを飛び続け、ときには羽音を立てる。そして彼は一線すら踏み越えました。
 読んでいる本のページに着地。

 オーケー。そっちがそうならな、と殺虫剤を持ち出し部屋に連射。虫へ被弾したかは不明ですが、姿は消えました。ははは、どうだ、科学に敵うと思ったか。

 しかし、そんな殺虫効果によって私も部屋にいるのが難しくなり、しばらくキッチンで呆然とする羽目になりました。寒かったです。

2015年01月21日(水)

 お菓子売り場に、と書こうとしたら「可笑し売り場」に。いとおかし(昭和三十年代には完成していたと思われるギャグ)。

 ともあれ、お菓子売り場で女の子が「買って買って」と叫んでいます。手にはゴム紐がおまけについたお菓子。ところが母親は「ほら行くよ」と相手にしません。

 それでも女の子は「買って!」と騒ぎます。正直自分が母親だったら買いそうでした。そのお菓子にこだわる熱意が素敵です。

 が、直後女の子は「じゃあこっち!」と別のお菓子へ目標を変更。な、なんでもいいのかー。

2015年01月22日(木)

 図書館。
 返却期限の来てしまった小説を読もう、と図書館へ行き、朝からパラパラ読んでいました。こうすることで移動時間を忘れ、閉館ぎりぎりまで読めるのです。わーい!

 で、本当にぎりぎりになりました。「まあ昼には終わるだろ」と思って余裕をかましていた自分は一度兵法について考えるべきだと思います。

 ともあれ、小説が残り十ページまで来たときのこと。極力集中して読んでいると男性が登場。小声でぶつぶつ唸るのです。集中、集中が。

 さらに男性は置いてあったドカベンを開き、ページを虫眼鏡でのぞき始めました。ほぼ駄目でした。

2015年01月23日(金)

 「耳」
 実験上の手違いによって両耳を失ってしまった研究員Rは、人工耳をつけて生活を送っていた。それは耳の形状をした作りものである。義耳、と言うべきものかもしれない。

 そんなある日、研究所で行われた人体実験から患者が逃亡したとの報がRの耳に入った。Rが駆けつけると、患者は研究員たちの制止を振り切り、こちらへ迫ってくる。あっ、と言うまもなくRの耳に患者の持っていたメスが突き刺さった。しかしそこからは一滴の血も流れない。痛みもない。患者は驚いてRを見た。

 お兄さんはそんな夢を見たそうです。大丈夫ですか、なんか。

2015年01月24日(土)

 三人組がこちらへ。男一、女二人の組み合わせで、キャリーケースをごろごろ引いています。会話から推測すると中国人観光客です。と、ふいに。

 男「シーゴトレイアン!」
 女性陣「「シーゴトレイアン!」」

 面食らいました。が、昔友達と大阪に行ったとき「大阪!」「大阪!」と言ったりしたので、それと同じものかもしれません。地名復唱。ただそうすると、広島は「シーゴトレイアン」ということに――。

 長く住んでいる町にも知らないこと、たくさんあるんですね(さわやかなオチ)。

2015年01月25日(日)

 週末もだらだらしていますが、この度反省いたしました。限りある人生を生かさん、と立ち上がり、本棚へ本を取りに行ったのです。

 早速眺め渡し、泉鏡花や魯迅があるのを確認してから「文藝別冊 いしいひさいち」を手に取りました。収録作品「ゲームセット」を読んで笑っていると時間があっという間に経つのです。

 慌てて「文藝別冊」を返しに行き、ルソーや谷崎が鎮座するのを見たあとで「昭和ちびっこ広告手帳」を選択、「森永マミーポンポン大けんしょう」の広告を見ていると時間があっと――て、その。

 昼食の時間も逃しました。

2015年01月26日(月)

 鉛筆削らない。

 「ねえ、鉛筆削らない貸してよ」
 「はい」
 「削らないなあ」
 「でしょう」

 そういうのを考えていましたが、まったく謎です。「ねじ回さない」みたいなものでしょうか。なんですか、ねじ回さないて。言えばいいわけではないです。

 しかし長い人生、いつ「鉛筆削らない貸して」と聞かれるか分かりません。今のうちから備えておかなければ。東京には売っているかな、鉛筆削らない。おらの町よりずっとでけえんだ、きっとある。きっとあるさ、と清吉は旅へ出た。夜行列車に乗って。

2015年01月27日(火)

 祖母からレモンをもらいました。あっ、レモンの国内生産量一位は広島県ですよ。観光大使からのお知らせです、てへっ。――。

 さておきレモンをもらい、ありがたいな、など思っていましたがこんな話を聞きました。「そのレモンは祖母が別の人からもらったもの」。つまり「祖母の友人→祖母→私」。たらい回しレモン。

 もしかすると、祖母の友人の前には「祖母の友人の友人」がいるのかもしれません。そしてその前には、「友人の友人の友人」が。そして遡るうち、着いたのはテレビジョンの表紙。長渕。

 長渕の持ったレモンか、と感に打たれました。

2015年01月29日(木)

 前々からミニ不眠症(可愛く言ってみました)なので寝付きが悪いのですが、先日いい方法を見つけました。数字のカウント。「一、二、三――」とやるうち睡魔でナイスです。
 ところが昨日やったところ、全然効果がありませんでした。七百一前後で数え間違いもする始末。三ケタの数字は数えられないのかもしれません。

 ともあれ、方法が成功していた今までと、駄目だった昨日とでなにが違うのか検討してみました。するとどうやら「日記にこの方法を書こう」としていたか否か。

 つまり「日記にこの方法を書こう」と思った途端、効果が消えた、という。

 性格の問題――。

2015年01月30日(金)

 屋根から雪が落ちる音がしばしば鳴っていて、なかなか恐ろしいことになっています。ドン、とかズズンとかちょっとしたものです。
 アメリカかどこかに部屋中、罠やピストルの仕掛けを施した家がある、と聞いたことのある気がするのですが(あやふや)、それを思い出したりしました。

 家を出れば頭上へ氷柱が落下、窓を開ければ大量の吹雪。そんなパニックホームに我が家が変わっているのかもしれません。滑ってこけたり、釘を踏んだりもするのかも。

 ホームアローンか、という話でした。

2015年01月31日(土)

 スーパーマーケットを歩く中途で「受験生応援」コーナーを見つけ、「受カール」などネタがあるかな、と近寄っていくと、そのコーナーはとても小さいのでした。
 そのわりには遠目にたくさんのお菓子が見えたように思います。変です。事実、あたりには多くの棚が用意され、お菓子が並んでいます。チョコばかりが。

 顔を上げるとパネルがあり、
 「Valentine's
 ば、ばれんた――。

 転がるようにコーナーを出、私はスーパーマーケットを立ち去りました。魔物、魔物がいる。

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