勉強しなければ勉強しない
 本当に勉強していなかった。数学が分かる気はしなかったし、化学も物理も覚えていなかったから、国語、日本史、英語の三つだけセンター試験、受けることにして、それでまあ七割八割取れるのではないか、と思っていた。実際、過去問で七割くらいになったことはあって、また勘が冴えるなら、そういうことがあるような気がした。そうした態度が間違いだったわけで、当日は知識どころか水を持って行くのも忘れて、お弁当を食べても胸がつまるし、水が飲みたいなあとふらふらして試験官に怪しまれるし、手を洗うあの水は飲めるのだろうか、と考えたりして、一日終わるころにはもう浪人だと決めていた。迎えに母親が来てくれて、喉が渇いたと話し、もうたぶん浪人だね、と言い訳して、なんだかなにをやっているんだろうな、と、車の窓から紫色に暮れた町を見ていた。

 それからは「来年」のことが、頭から離れぬ一年であった。しかしながら、最初は万能感もあった。なに、前は勉強すらしていなかったのだ。しさえすれば一年間あるのだから、T大学にも行けるのではないか。ほんとうはみんな、小中高と十何年間勉強しているわけで、そう一年間で差をつめられるはずもないのであるが、やっぱり最初は一年間という長さにやられていた。それまで「センターまで十日」「一週間」「明日」と刻まれる時間が短かったから、一年間。来年。という遠さは、やっぱりすごく長く思えたのである。

 たとえ可能性があっても、人間、勉強しなければ勉強しないもので、私は予備校にも行けなかったから、家で参考書を解いたり読んだり、NHKの高校講座を見たり、これは面白くて、サンドウィッチマンの二人が地理講座に出て、東南アジアの産業を私も真剣に考えたりしてみたが、結局日本史と倫政しか受けなかったから、本当になんだったのだろうか。そんなあげくで、一日一時間しか勉強しない日もあり、一時間も勉強しない日もあった。図書館に行ったときも自習室を素通りして、戦車や兵器の写真集を見ていた。キャタピラーが格好良いのである。ついに夏が来たころには、さすがにT大学なんて無理だと悟って、地方のO大学くらいかな、と、それでも結局高望みだったわけだが、ランクを下げて、勉強していた。

 あるとき、映画の前売り券を買った。しかし、買い方を間違えて、安くなるのでなく、むしろ割高になってしまったのである。これはたしか九月か十月くらいだったけれど、夏も終わって不安感が増していたのもあり、本当に、つらかった。なんだか、私はもう、精神とか頭とかに欠陥があって、まったくの無能なのではないか。普通の生活なんてできない、本当の無価値なのではないか。と、そのくらいに、たった数百円の失敗が、情けなくって、ついには泣いた。思い出すと、不安で泣くところまで行ったのは、その一辺きりで、どうにも、やっぱり苦しんでないな君は、と言われると返す言葉もないけれど、まあ、私なりに、めいっぱい、つらかった。

 やがて「来年」が「今年」になり、一応十月の終わりくらいに見つけた大学へ、なんとか入ることができて、単位も落としたりしたのだが、あの、浪人生のころは、「来年」にそんなものさえ見えなかった。妙に明るく、妙にぼんやりと、妙に不安な風景を、ただ見ていたように思う。


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