スリッパでおいでよ
 修学旅行で泊まった部屋にスリッパがあった。小学生だった。それまでスリッパがきらいで、ずっと家では靴下、裸足のマーメイドであった私は、小麦色、でない、困った顔、をした。
 なにしろすぐ脱げて歩けぬのである。そもそも履きものというのは、なんとかして履きものが脱げないよう工夫するものではないか。鼻緒、靴紐、画鋲(バレリーナ限定)、さまざまな手法で、明日天気になーれができないよう、するものではないか。
 ところがスリッパ、これである。足の前方だけかぶせて、「大丈夫っすよ全然。おれもすぐ打ち解けられたし、ほんとすぐ仲良くなれますよ」というやり口である。私は困った。歩きにくい。階段ではスリッパに先に降りられ、友達にも置いて行かれる。なんだよ、みんなどうして上手く履けるんだよ。悲しいよ、おれは。困ってしまうよ。小学生の口調ではない。
 仕方がないから私は、人通りの減ったときを見計らってスリッパを手に持ちかえ靴下で階段を駆け下りたのだった。まるで岡本かの子の『快走』である。うそである。中学生になったときには流石にスリッパ移動を続けたが、やっぱりスリッパの違和感は頭を離れなかった。

 「あっ、ごめんちょっと待って」
 「なんだよ、忘れ物か」
 「いや、スリッパが、脱げた」

 落語のオチを思わせるが実際はスリッパが脱げただけである。

 ともあれ、今の私はスリッパを上手に履ける。一人暮らしを始めてからはスリッパ生活になったから、慣れの効果というか、見事なほどである。しかし――。理由は本当に「慣れ」だけか。
 実際は、運動能力、バランス感覚、足の接地面積に関するケプラーの第三法則などもあるように思う。一概に慣れとは言えない、履けるようになった「理由」がほかにある。それを伝えられれば、スリッパを苦手にする民(たみ)、かつての私や、かの子嬢(ちがう)の光明となれるのではないか。今回、ひとつの結論を出してみた。

 つまり、ひっかけるコツは、足の基節骨である。


[前] [次] [雑文] [トップページに戻る]
inserted by FC2 system