王国論


 文子の元に一通の手紙が届いた。短い手紙である。そこには一言「王国論」と書いてあった。文子は王国論が何か知らない。そこで自室に戻り、グーグルで検索をする事にしたのだった。

 検索をした所、丹後王国論という古墳時代にまつわる仮説と、千年王国というキリスト教の教えに関する物の二つがヒットした。残りはそれの派生か、取り立てて関係があるとは思えぬ物である。

 どちらもよく知らなかったので、文子はウィキペディアで簡単にその二つの意味を確認した。何となく理解した気になる。しかし、その言葉が――それが手紙にあった「王国論」なのだとして――何故、文子の元に届けられたのか。あの手紙に書かれていたのか。全く理解に苦しむ所であった。

 ふと、王国論ではなく、国王論なのではないか、そんな事を思い付いた。しかし国王論とは何だろうか。文子はまたグーグルを使う事にした。

 ところが、国王論で調べても大したヒットがない。どうやら国王論というのは余り使う言葉では無い様だと文子は思った。そして、この一通の手紙はやはり国王論でなく、王国論で良いのだと考えた。

 さて王国論とは? 文子はネットに頼るのを止めた。己の頭を使う事にしたのである。王国とは、どこか王が統治する国の事であろう。もしくは千年王国の様な理想国家の事を指すのかもしれない。どちらなのかは分からなかった。

 続いて、論とは、順序立てした思考をまとめた物の事だ。つまり、何処かの王国に対して論じた物が王国論だという事になる。しかし相変わらず、それが届いた理由が文子には想像できないのであった。

 そこで考える事を放棄した。珈琲を入れて飲んだ。机の上に昨日から置かれていた植芝理一の漫画を開き、怠惰な日常をいつも通り進めた。

 その時、部屋に母親が現れた。「あんた学校はどうするの」。母が言う。文子はぷいっと横を向いて、漫画を読み続けた。しかし内容は余り頭に入って来ない。「このままこうしてていいの」。母は言う。漫画を閉じる。かといって向き直るでもなく、口答えするでもない。文子はただ何か見つめる仕草をしていた。

 母親は部屋を出て行った。文子は起き上がり、頭の片隅で考え始めていた事を打ち消した。そして、王国論についてまた考え出した。王国というのは何処にあるのだろうか。何処かにあったとして、何故それについて論じたのだろうか。そしてそれを届けた理由。今日何度目の問いだったろう。

 思えば、王国論と書いたこの手紙は何も論じていない。ただ王国論という三文字があるのみである。もしや、誰かが私に王国について論ぜよと言っているのではないか。そうも文子は考えた。

 やがて兄が帰宅した。兄の部屋は文子の部屋の少し奥にある。部屋の前を通る兄の足音がよく聞こえた。いや、足音が二人だ。そう気づいた。やがてそれは母親であると感づいた。

 母が兄の部屋に行く時、それは文子について話す時である。文子は自分の話をされるのが嫌いだ。しかし話は始まる。いつも進み方は分かっていた。二人の意見は違う。それでは口論になるのも仕様が無かった。

 やがて口論の声は大きくなっていく。激しくなっていく。文子は何気なく、奥、口論、と呟いた。それこそが王国論であると不思議なほど確信したが、やはり文子にはその理由が理解できないのであった。


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