安かったから
 春はお別れの季節です(1986)

 春の別れはいつも突然だ。彼との別れも例外ではなく、過ぎる時間、いつかの食事の思い出に浸っている間もなく、ただただ茫然とさせられた。彼の名前はSR-E10A、家族から炊飯器と呼ばれていた。

 いきなりどうかという出だしだが、「お別れ」の思い出がないので仕方がない。なぜないのかと言うと、その前の出会いの思い出がないからであり、なぜ出会いがないのかと言えば、我々がイデアを失ったからにほかならない。もしくは、私がモテないからである。

 炊飯器の話に戻ろう。きっかけは段ボールであった。家へ帰ってくると、大きな段ボールが台所に座っていた。
「なんの段ボール、それ」と私は聞いた。
「炊飯器」
「えっ、炊飯器」
「安かったから」

 「安かったから、炊飯器を買う」
 そうした発想があると私は初めて知った。それは安いほうがいいんだろうが、そんな理由でいいのだろうか。例えばある夜、友達から電話がかかってくる。「一緒に山に登らないか」。かまわないが、なぜ山なのだろう。尋ねると、答えるのである。

「安かったから。山は、安かったから」

 そんな山は置いておくが、とにかく我が家の炊飯器は新旧交代を迎えた。母がセットアップを行う。こういうのはなんとなく、若者である私の仕事のような気もしたが、うろうろと歩き回って誤魔化す。すると、先代の炊飯器と目があった。考えれば、我々の食事をずっと担ってきた大人物、大炊飯器である。あっさり回収に出すだけでは忍びない。
 私はカメラを持ってきて、彼を撮影した。家から姿を消す前に、少しでもなにかを記録しようとしたのである。あまり絵にはならなかったが、機械の過ごした生涯、去りゆく老兵の姿を感じることはできた。春は、別れの季節。それは機械も例外ではない。作業を母に任せて炊飯器を撮っている場合なのだろうか。

 ふと思った。このカメラ。これが「安かったから、買った」だとちょうどいいオチになるだろう。家族に聞いてみると、「運動会に出る私の撮影用」とのことであった。意味はきちんとあったのである。山に登るべくして、私たちは山へ登る。


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