被る人
 「ソート」と言うように、人間さまざまなものを分類する。古き良き時代の「食べられる実」「食べられない実」から始まった分類はいまや、「こまめに保存をする人」「しない人」というところまで来ている。私はもちろん前者である。いや、正確に言えば、前者でした。数分前、突然、書き上げた文章が――。

 話を戻す。そんな分類の中に、「被る人」「被らない人」というものがある。「被る」の字から、ねずみさんに似たキャラクターを思い出す人があるかもしれないが、そうではない。彼等がやってきてからでは遅い。さて、本当の「被る人」「被らない人」、これは例えば家の掃除中、お面が見つかったときのことを考えてもらいたい。おたふくでもひょっとこでも、中南米の部族のものでも良いが、とにかくそれが見つかったときである。

 ある人たちは、おもむろに、被る。つい被ってしまう。
 ひょっとこ面ならば手をリズミカルに下へ突き出す動きが加わる。彼らが見ているのは「どじょうすくい」である。また、それが部族の面の場合、足踏みをしながら両手を上下に動かすスタイルになる。こんなとき、近くに箒などがあるといけない。間違いなく「槍」のように振りかざしてしまうからだ。ちなみにこちらはマサイのつもりなのだが、マサイはアフリカで中南米と関係はないのであった。

 そういうのが「被る人」たちである。もちろん「被らない人」も世の中にはいて、むしろ多数派だろう。「変なお面だ、捨てよう」というパターンも当然あるだろうし、祖父母のように壁に、おたふくのお面を貼っているパターンだってある。あれにはなんの意味があるのだろう。私と関係のない話ではあるが、えっと、それが怖い人も、もしかしたら、その、いるかもしれませんよね。ねえ。

 ところで自分を省みると、どうも「被る人」側の気がしてならない。なにしろ段ボールすらサイズが合えば被ってみたりする。ついでに無言で仮面ライダーのポーズをとったりもする。段ボール・ライダー。視界がゼロだ。

 ついこの間も、本の入っていた大きな封筒を、頭へ被ってしまったことがある。そのとき思った。「エジプトだ」。横を向いたネフェルティティである。もしかするとエジプト人たちも、「被ってしまう」側だったのかもしれない。しれない、というのもたいがいな話である。


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