年の暮れ
 傘を持っていくべきか、いかぬべきか。多くの人が悩んでいる。私もそうだ。そこには人生がある、と言っても過言ではない。そうして私が傘を持っていくと天気はあっという間に回復するのであった。

 人生を噛みしめていると、偶然飴をもらった。好青年である私は普段からポケットティッシュ、宗教団体のチラシとさまざまなプレゼントを受ける人気者であるが、その日は飴なのであった。早速その袋を開けようとして気がついた。

 べたべただ。放置されて久しかったせいか袋と飴が膠着している。そんな放置された飴をプレゼントされる、とは、と心がなにかを考え始めたがブレーキをかけ、分離の方法に頭を使った。しかしべたべたの飴は生半可な頭など相手にしない。「長い勝負になるかもしれない」。直観はそう告げていた。

 もちろん、思いきり引っ張って取る、という解決作はある。しかしそれでは手が汚れてしまうし、動物でもやりうることだ。我々は考える葦なのである。私は考えた。そして、思いきり引っ張るのであった。

 甘味を感じていると、突然名前を呼ばれた。
「たかめくん」
「ふい」

 誰だこの声は、と思うと私である。いや、私のせいではなく、口の中の飴のせいであるが。けれどそんな説明をしている場合でもないし、立ち上がって飴を口に入れたまま、頷きで受け答えをすることになった。そして「飴のことが気になると、話が頭に入らない」ということを知った。

 そうこうしているうち帰宅時間が来た。私は「はようなら」と挨拶してスルーされ、帰宅の途中で傘を忘れてきたのを思い出し、取りに帰って「へへ、 忘れとりました」と言って再びスルーされたりした。「そうか、ぼくはあのとき――」と死んでいるのかと思ったが、そんなことはまったくないのである。

 帰り道、ずっと腹を立てていた。傘、こいつさえなければ。取りに帰ってスルーされることはなかったのに。勝手な文句である。思えば傘はそれに反発したのかもしれない。彼は、私が途中で寄ったトイレの床に、するりと自ら倒れ込んだのであった。水気を含んだ床に傘が当たる。持ち手の部分も例外ではない。

 そして太陽は、相変わらず光っていたのである。


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