「リッチになりたい」。いいではないか。「アンパンマンに会いたい」。カバオくんかな。「息子が就職できますように」。わ、これは。「息子が結婚できますように」。待て待て。「もう一度ホームランを打ちたい」「ふるさとのあの人の笑顔を見たい」「元気になって、おうちにかえりたい」。涙が出てきた。
さて、短冊といえば、私には忘れられない思い出がある。ロマンチックとは程遠い高校生の頃、文化祭で「全校生徒の七夕」イベントがあった。生徒が短冊に願い事を書いて、下駄箱の前に用意された笹へ吊す、それだけのものである。
その案内を先生に聞いた私は、思い立って二枚の短冊を手に入れた。本来は一人一枚ずつだったのであるが、机の上に短冊が積まれ、各自が取っていく、というザルなシステムであったので突破は容易であった。
そして、一つには普通の願い事を、健康がどうとかだったか書き、問題のもう一枚には、友人と相談しながらこう書いた。
「にんげんになりたい 牛男」
天の川は英語でミルキーウェイ、あたりからギャグが脱線した結果であった。書いてしまった以上、私たちは牛男も笹へこっそり吊したが、文化祭が始まり、そして終わり、月日が経つ中、何一つ牛男の話題を聞くことはなかった。もっとも、吊した私と友人ですら、無言だったので仕方がないのかもしれない。悲しいギャグの思い出である。
そこで私が今、短冊を持っているならこう願いたい。
「失敗は天の川に流してください 牛男」
誰なんだ、牛男。