仲間に隠れて
 新聞を読んでいて、囲碁通信講座の「仲間に隠れてレベルアップ」というコピーを目にした。たしかに通信講座ならこっそりレベルアップができて、仲間の本因坊もびっくりするに違いない。
 けれど、「簡単レベルアップ」「レベルアッパー」「聞き流すだけでレベルアップ」ではなく、「仲間に隠れて」と書く意味はなんだろう。

 一つには「相手をびっくりさせたい」気持ちが働いていると思う。毎日練習しているのを知られているより、突然強くなって、「どうしたんだお前!?」と進研ゼミの漫画で塾に行っているやつに驚かれるほうがいい。「鼻をあかす」という言葉もあるが、勝利の優越感は相手のマヌケ面とともに強まるのかもしれない。

 二つには「仲間に隠れて」という言葉の効果だ。「仲間に隠れて」は、やはり自分が熱心に練習や勉強をするのを「周りに知られない」こと、と言いかえられる。それが利点になるのは、練習、勉強をやめるときである。たとえば周りの人に「碁の先生に教えてもらう」と言った後、「きついんでやめます」などと言うと非常にみっともない。「先生に教えてもらう」と言った後で、「あんなことするなんて」などと言うと事情が気になる。気になる。ともかく、周りに知らせずになにかを始め、その後やめたとしても、周りから非難やあざけりを受けることは当然ないだろう。つまり、「やめやすい」のである。

 部活勧誘の「やめるのも自由」ではないが、「やめやすい」というのは、挑戦へのハードルを押し下げることでもあろう。そう考えれば「仲間に隠れて」というコピーは、講座へ挑みやすくしつつ、先ほどの優越感も想起させる、気の利いたコピーではないか。ナイス「仲間に隠れて」である。

 なので、隠れていたら仲間に帰宅されたあの日の隠れんぼもナイスであるし、大したことないと信じたい。


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