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5月の春日記 2015年05月01日(金) 「ここに自転車を止メルナ」 女の子「あっ、また私の家の前に自転車が!」 翌日、「こういう少女には気をつけましょう」の貼り紙が貼られている、というオチまで思いつきましたが、あとはまたの機会にお願いします。 2015年05月02日(土) 「輪舞曲」(ロンド)を、使う機会があるのでしょうか。 覚えたのはたぶんクイズ番組からなので、クイズ番組に出れば使えるかもしれないものの、おそらく出ないので、使いどころがますます減りそうです。 と、書いていて、「狂想曲」(ラプソディー)と思っていたのが、実は「狂詩曲」(ラプソディー)だった、というミスが発覚しました。 2015年05月03日(日) 漫画やドラマに多い、変わった名字。そこで「毎回名字を指摘される」シリーズを考えました。 ともあれ、冷静な大外廻と「事件は足で解決する」が心情の老刑事山田はともに巨額の麻薬取引を追います。あるときは張り込み、あるときは聞き込みを(ここでも珍しい名字と言われる)。 やがて甲斐あって現場をつかみ、麻薬王と子分たちを逮捕しましたが、大外廻が撃たれてしまいます。 二人は寂しい笑顔を見せるのでした。 2015年05月04日(月) 「日本人はウサギ小屋に住んでいる」と欧州は日本の狭い家に言いました。 ただこれが、こうだったら。 ウサギが言うのなら、仕方がありません。なんか可愛いですし。世には「問題発言」がいろいろとありますが、このように当事者の視点を加えていれば問題にならなかったのでは、というものも多そうです。 ウサギは当事者なのか。 2015年05月05日(火) ファミリーレストランの入り口にあるおもちゃコーナーと、そこにいた家族です。 犬のぬいぐるみを欲しがっています。実はそれ、数分前に私が「より買われやすくなるよう」勝手に並び替えてみた商品だったのですが、その子が欲しがったのは並び替えなかった犬でした。 ともあれ、お母さんが返します。 娘の手を取って、帰って行きました。たぶん、「今度」は来ません。 2015年05月06日(水) DVDを見ようとしたら、ウィーンと音がして、「読み込み中」のまま変化がありません。あれこれしてみましたが、好転せず。 別の部屋へ行って、そこにあるプレーヤーにDVDを入れてみます。すると、どうでしょう、映りました。しかしこの部屋のテレビは小さく、あまり迫力がありません。 そこで、このプレーヤーをさっきの部屋へ持って帰って、さっきのテレビに接続することにしました。コンセントをまず外し、赤白黄色のチューリップ、でない、ケーブルも外して、付け替えました。 それで見られたのですが、問題はそのあと。「これ、戻すのか」。休日は減っていきました。 2015年05月07日(木) レシートに「担当者 ○○」と名前が載っていることがありますが、妙にあれを見てしまいます。「へえ、鈴木さんて言うんだ」と意味もない納得をしているのです。謎です。 さらに、「16時54分」などと利用時間が書いてある場合も、「へえ、16時54分か」と納得しています。イロゴシだ、と思ったりもしますが、もういいですね。 これはレシートの「納得させる」力に寄るものでしょう。本来レシートは疑問を持たれてはいけません(金額が違うんじゃないか、とか)。そこから、この「納得させる」力が。 犯人もアリバイをレシートに印刷すると、うまくいくのではないでしょうか。 2015年05月09日(土) ウミネコていますが、猫ありきの名前なわけです。「鳴き声が猫っぽいから海猫にしちゃいました、えへ」とこういうことなのです。 これはいかがなものでしょうか。ウミネコ「ミャー、ぼくは猫じゃないミャー」と言われたとき、我々はどうすべきか。猫か、て感じですけれど。 さらに今回調べていて、「ウミネコとカモメが似ている」ということもわかりました。写真を見比べましたが、素人にはほとんど判別がつきません。ウミネコは猫でないばかりか、カモメにも似ていたのです。 いっそカモメを「ウミネコモドキ」とかにしてみれば、と思いましたがもうなんのことやら。 2015年05月10日(日) 擬人化が好きな人は「ねじ」を「ねじくん」にし、それはまあ、わかります。 これは「細胞」と「生物」の関係にも似ています。私たちは右耳の細胞に名前をつけるでしょうか。つけません。一方、集約されたかたちである、「自分」には名前があります。 ところで、名字もなにかを集約しているのでしょうか。先祖の歴史。それとも、これは、ある一族にまつわる遠大な物語の始まりですが――。 2015年05月11日(月) 私の周囲ではしりとりのとき、「る攻め」が流行っていました。兵糧を思わせます。 もちろん、攻め方が流行れば守り方も発展するもので、「る」から始まるさまざまな言葉がピックアップされたのです。 中でも「ルール」は。 「ルノアール」は。 2015年05月12日(火) 「器械体操」は「器械」を使った「体操」です。では「ラジオ体操」は。 「ラジオを持って、ぐるぐる回す体操」 「テレビ体操」もありますが、これは難しく、なにしろテレビを持つのは大変です。代わりに、テレビの上で三点倒立をしたりするのでしょうが、最近は薄型が多いので難易度も増しています。 「新体操」にいたっては、「新を使った体操」ということで、もうなんだか手に負えないのでした。 2015年05月13日(水) 最近ガッツポーズしていないなあ、と思いました。 ウィキペディアを見ると、名の由来に「ボウリングから」「ガッツ石松から」と二つの説があり、いまいちどちらが本当かはっきりしていません。ガッツらしくないです。 ガッツならこう、「こっちでいくぜ」と決めてもらいたいではありませんか。 ちなみに、「ガッツ石松がWBC世界ライト級王座を奪取し、ガッツポーズを見せた日」から、四月十一日は「ガッツポーズの日」だそうで、今年は過ぎてしまいましたが、来年はぜひ参加しなければ。 忘れている気がするものの、そこはガッツで解決です。 2015年05月14日(木) 『花咲かじいさん』には「正直じいさん」と「欲張りじいさん」が出てきます。しかし、「欲張りじいさん」とは、「欲に対して『正直』なじいさん」とも言えないでしょうか。 さらにポチです。ポチが何歳かは明らかにされていませんが、「ドッグイヤー」とも言うとおり、人間の年齢に直せばそれなりの年と思われます。つまり「じいさん」のはずです。 またポチが「正直」であることも、彼の行動から納得が行くところでしょう。 「正直じいさんのおかげで小判を見つけた正直じいさんを、正直じいさんがねたむ」 2015年05月15日(金) 道沿いの巨大看板に「も」とだけ書かれていたら。不条理な物語が始まりそうで、「も」とはなんだろう、と考えてしまいます。 けれど、「も」を「ゆ」に変えた途端、私たちは納得してしまうのでした。巨大な「ゆ」を。 もちろん「ゆ」が「湯」、すなわち「銭湯・温泉」を表す、というルールがあるから、「ゆ」を疑問に思わないのですが、本当にそんなルールはあったのでしょうか。あると思い込んでいただけだったのでは。なんだか永井豪先生みたいになってきました。 ともあれ、「ゆ」。その扉を開くと、そこには「ゆめ」の世界が広がっているのかもしれません。 2015年05月16日(土) 土手にあるベンチに座って、本を読み、気づいたのです。 現れる虫たち。そういえばもう、そんな季節になっていました。あちらを向いても、こちらを向いても、彼らが笑っています(妄想)。いつもならば、ダッシュで敗走していたかもしれません。 けれどその日は違いました。「虫なんて気にしなければいいのさ。広い心で、本だけに集中すればいいのさ。見間違えたのさ」と明るい思考で、人間的成長を見せたのです。 が、本のページに虫がとまったので、諦めました。逃げました。 2015年05月17日(日) なにかするとき、テレビをなんとなくつけています。こういうのは「エコじゃないよ」ですし、「しっかりしろ」ということにもなりそうですが、音がしていると落ち着くのです。 で、まあ音量の中で日々を過ごしています。テレビはある程度時間が経つと、節電のためか勝手に消えてしまうので、音がなくなったのに気がつくと、テレビをつけ直したり、と。 そして今日も音がなくなったので、また消えた、と思ってテレビをつけようとして、驚きました。 将棋番組は静寂のあるテレビだったのです。 2015年05月18日(月) 「お分かりだろうか」と心霊番組によくありますが、一度見ただけで分からない心霊現象て、どうなのでしょうか。現実では巻き戻しができませんし。 でも、そんな、一回だけの「今」を大切にしたいですね(笑顔)。 と、良い感じにしましたが、さておき、「どうなのか」などと言った場合、亡霊や幽霊たちが「そっか、一回で分からないと駄目か」と、より派手になってくる可能性があります。 なので、お分かりづらくて良かったのか、と思い直しました。 2015年05月19日(火) はっとしました。 「ネタがない」 これはあれでしょうか、前までやっていた「思いついたらメモ」の習慣を、なんとなくやめてしまったせいでしょうか。こんなに大事な習慣だったとは――。 というわけでまた気合を入れ直しますので、今日はこんな感じでひとつ。 2015年05月20日(水) 作業服店に、電光掲示の看板がありました。字が流れていきます。 「ヘルメット」「安全靴」「地下タビ」「カッパ」 「カッパ」。カッパて。カッパ柄のシャツですか。なにそれーと家族に笑って話しかけたところ、話しかけながら「あっ、これ、雨ガッパのことか」とやっとひらめきましたが、もはや遅く。 すでにわかっていた「雨ガッパでしょ」の返事を聞かされ、それは脱力したのでした。 2015年05月21日(木) 「今、手が離せないので」と電話を切りますが、本当に「今」手が離せないのなら、ずっと受話器を持っていなければなりません。なので、 「ゲームで手が離せないので、またにしてください」と、こう行くべきですね。ゲームならしょうがない、相手も納得します。するのか。 かと言って、自分から電話をかけたあげく「あのお、手が離せないんすよ。受話器から。電話してるから」などは、切られるか、キレられるかどっちかですし、やめたほうがいいでしょう。 「手が離せない」。奥の深い言葉です。 2015年05月22日(金) 「春日記」が突然「春風亭日乗」になった場合、分かる人には「落語と荷風かな」と推理できます。 一方の人は「はるかぜていにちのり」かあ、となるばかり。それも楽しそうですけれど、これはつまりパロディと知識との関係を表しているわけです。 一般にパロディは知識がないとわかりません。「だからこそ分かったとき面白い」とするのか、「ただの内輪ウケだろう」とするのかは、いろいろあるように思います。「どっちでも面白ければいい」もあります。 ただ「ラーメン」を見て「スラーとメンデルスゾーンだな」などと考えるのは、行きすぎというか、そういうゲームではないです。 2015年05月23日(土) 「世界の町めぐり」「ヨーロッパの旅」「フランス紀行」と勝手に作りましたが、そういう番組をBSなどでよくやっています。見ていると、ほのぼのできていいです。 しかし、「カメラを見て笑う子供」「カメラに手を振るおじいさん」が毎度のように出てくるのはなぜでしょうか。あ、また手を振る、と思ってしまうのです。 ほのぼのした映像には、ほのぼのした子供とお年寄りが似合う、ということでしょうか。まあ確かに筋骨隆々な男性ばかりが出てくると、「町めぐり」感は薄れそうですけれど。 結局、「手を振るおじいさん、三人目!」と数えたりするのでした。 2015年05月24日(日) 「遊びたいんだワン」のようなキャラクターにされている犬ですが、私が目にする犬はそんなのばかりではありません。 この前歩いていた犬は「暑いっすわ」という感じでした。ほかにも「きみは誰かね」「あー、はいはい」などの犬が見受けられます。想像ですけれど。 犬も「だワン、なんてないね」と考えている気がします。いや、待て。「なんとかだワン」と言っているのは人間ですから、人間=「なんとかだワン」、だと思われている可能性もあります。 犬「人間の語尾て、変だね」、ということになっているかもしれません。 2015年05月25日(月) 袋入りラーメンの包装に写真が載り、横に「調理例」「調理の一例」とあります。 これは写真だけ見て買った人に、「煮卵が入っていないんですけれど」と主張される問題を、解決するためにあるようです。あくまで「調理した例だよ」、と。 しかし、「調理しても『チキンラーメン』て字が、出てこないんですけれど」と包装まるまる調理例だと思われた場合、大変なことになります。 「ラーメンは調理例、キャラクターや字は霊」と書き足すべき、て、霊ではないです。 2015年05月26日(火) パンをひっくり返しつづける仕事がある、と読みました。「パンが流れてくる→ひっくり返す→次のパンが流れてくる」。 絶えきれずに脱走する人も出るそうで、無理ない感じです。人間、意義のつかめない労働は余計につらいのかもしれません。穴を掘って、また埋めさせる刑罰とか。 裏返せば、どこかに意義を感じることで、楽しく継続できる、と言えます。これからはつらいことには意義を見いだせばいいのではないでしょうか。 ただ、その末に「意義が、ない」に辿りつくともういけないので、そういうときは寝るべきだと思います。 2015年05月27日(水) また家族の旅行中に、朝夕、家庭菜園への水やりを頼まれたものの。 朝七時「サイト更新してから、水をやりましょうやりましょう」 書いては消しやほかのことをやっているうち、どんどん時間が経っていたのです。恐ろしいことです。 それで十時ごろ水をやりにいったのですが、もう「朝の水やり」ではないな、と植物の声が――。 2015年05月28日(木) 先日、驚いたのは、窓のブラインドを使えるようになっていたことです。 これまでは、いまいちあれの機構が分かりませんでした。いくら引っ張っても上がらなかったり、片側だけ異常に下がったり、それはもう下手だったのです。 が、先日試すと、するっと下がり、驚きとともに成長を感じました。「初めてブラインドを下ろせた日」。 しかし、調べてみると、私のやり方が完全に間違いだったと判明し、外をぼんやり眺めるのでした。 2015年05月30日(土) この前、スーパーをうろうろしていると、懸賞チラシがありました。商品を購入して応募すると、おもちゃが当たる、というやつです。 それを見た私は、突然「ある感覚」を覚えました。ラベンダーのかおり、じゃない、「当たる」気がしたのです。当選のイメージがありありと浮かびます。これはきっと、お告げでは。 すぐチラシを手にとり、募集要項を眺めると、締め切りは、二日前でした。 仕方ないので、帰りましたが、私の予感はなんだったのか、という気分になりました。 2015年05月31日(日) 階段を降りるとき、「一、十、百、千」と頭で段を数えていて、なにかと思えば「なんでも鑑定団」でした。 面白かったですが、続けるうちに「兆」など、とても「なんでも鑑定団」感のない桁が出るのはちょっとどうか、と思います。本当は最高額で「五億円」だそうですし。 ところで、上るときは、反対に「千、百、十、一」と減っていくことになります。スタートを間違えると、マイナスの数値になりかねません。 結果、「マイナス兆」段、というわけのわからないことになるのでした。 |
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