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3月の春日記


2015年03月03日(火)

 本スレ>「春ショは春はお休みだからね、しかたない」。 こ、これは。
 そういうわけでいろいろありましたが復帰いたしました。以下に変更点。

 ▽ロゴが少し大きくなりました。
 ▽「高目日記」が登場。不定期に更新していく予定です。

 そういえばカウンターが6000越え! よりによって休止中とは、ああ――。

 ともあれ心機一転し、また頑張ります。春本番はこれから、そしたらすぐ夏、すぐ秋で、すぐ冬、また春、夏、秋、冬、春になって、夏で――

2015年03月04日(水)

 農協か銀行か、道を走っていると、建物がありました。いくつものぼりが立っています。見るとアンパンマンのイラストが描いてあり、こう台詞がありました。

 「この街と生きていく」

 いやいやいや。ちゃんとあの、なんでしょうか、アンパン村に帰った方がいいのではないでしょうか。せっかくなので検索すると、アンパンマンたちが住んでいるのは「地球の日本(ただし架空世界の設定)」で、やなせ先生いわく「アンパンマンワールド」だそうです。

 それが中国地方の一町村で「生きていく」とは。アンパンマンにもいろいろあるのでしょうか。しがらみとか。アンパンマンがすべてののぼりに増殖していたのも、ちょっと気になります。

2015年03月05日(木)

 この前気づいたのですが、ブックオフの文庫本て、「作者」順に並んであらせられるのですね。ははー。普通の本屋さんは「新潮」「角川」と「出版社」順が多いように感じます。

 しかし、そういえば図書館は「作者」派でした。なんの違いでしょうか。
 本屋は「買う」人が行くので出版社順で探せた方が便利だし、ブックオフや図書館は「読めればいい」人用なので出版社に拘らなくてもいい、かな。ううむ。

 「出版社」順は面倒なため、本屋くらいしかやらない、というのもありそうですが。

 ちなみに私の本棚の場合、と書こうとしたら、漫画ばかりだったので空を仰いでいました。

2015年03月06日(金)

 悲劇は唐突に起こりました。
 録画の某カウントダウン音楽番組を家族と見ていたところ、

 「○位 大漁船」
 私「ははは、だいぎょせんだって」
 家「…」
 私「ほらほら、だいぎょせんて。特撮みたい」
 家「……たいりょうぶねじゃろ」

 それからは、黙って番組を見たのでした。

2015年03月07日(土)

 イヤホンを持っていないのを発見して、買うことにしました。けれど困ったことに、イヤホン界はカナルがどう、耳かけがどう、とややこしいのです。これは真面目に調査してから買った方が良いような。

 そこでふっと、浮かんだのが百円ショップ。百円ならべつに失敗しても気になりません。まあ座って聞くつもりなのでノイズとかもなんとかなるでしょう、と赴いたのです。購入。聞いてみると。

 「ウーーーーーーア、ウーーーーーーア

 聞こえるなあ、聞こえますねえ、くらいの感じが。仕方ないのでこの夏のアクセサリーとして使えないか検討しています。

2015年03月08日(日)

 本屋さんの一角に、「TV・ブログレシピ」という名前がつけられていました。TVはともかく、ブログレシピて一体。ブログ発のレシピ本なんかでしょうか。見に行けばわかるのですが、面倒でした。

 「ブログレシピ」と言えば、「プログレ」と似ている気がします。「ブログレッシブ・レシピ」。高度な調理技術で超大作を製作する、そんなレシピ・ムーブメントを指すのです。

 そういえば「原子心母」に牛が出てますけれど、これはレシピ(牛肉)である証拠。
 「クリムゾン・キングの宮殿」は宮廷料理人の意味に違いありません。

 すべての小皿で一つのコンセプトを表現、とか言うと、ほら、なんだかそれっぽいです。

2015年03月09日(月)

 「重たくないっ」と女の子は叫びました。「でも持てないでしょ、重いし」とお母さん。どうも、母の持つ荷物を子が「私に持たせろ」と主張している様子です。

 「かければいいから」、とまた女の子。「かける」、なんでしょうか、それ。と、女の子は強引に荷物である紙袋を奪い、持ち手を腕へ引っかけて走っていくのです。

 「かければ軽くなる」、そんなことはないと思いますが、目の前で見たからには。もしかすると腕の近くは重力も小さいのでしょうか。試してみますと、重さは変わらず、持ち手が食い込んで痛いです。
 科学実験の限界を、思います。

2015年03月11日(水)

 昨日は雪が降っていました。それを見た私は、歩くルートを変えます。いつもはアーケードの下を通りますが、この日は裏通りへ。

 思った通り、古びたスナックや閉まった事務所に挟まれて、小雪降る道を歩くと実にハードボイルド。松田優作とか、ああいう感じですね。ははは。

 と、最初は歓喜だったのが、やがてうっとうしい気分。すべて顔に当たる雪のせいです。目や鼻を次々狙う雪。私は焦燥としながら、ある真実に気がつきました。

 「ハードボイルドは、追い風でないと駄目」。そんなのハードボイルドじゃないよ、て感じですけれど。

2015年03月12日(木)

 三月の日、路上に豆腐がありました。

 散乱する豆腐。田舎ではない、商業ビルや居酒屋の立ち並ぶ街中に、それです。もうなんなのかわかりません。えー、と辺りを見回しましたが、犯人らしき人はなく。

 私はしばし、たたずんで考えます。なぜ豆腐。「豆腐に頭をぶつけて死ぬ」人とかがいたのでしょうか。しかし死体もありません。

 まさかパフォーマンスでは。そういえば近くにパルコもある、このオシャレタウン。「アメリカから初来日、豆腐(To-Fu)投げアーティスト、ソイ・ビーンズ!」。おおー。おおー、て。
 そもそも「パルコがあればオシャレ」と思っている価値観がなんだか、です。

2015年03月13日(金)

 また子供の発言を。

 「エレベーター怖い!」。聞いた途端、同意でした。あれに乗ると「綱が切れて落下する」ような感じです。続けて、子供は言いました。

 「エスカレーター怖い!」
 目が点になる、とはこのことです。それではもう階段しかありません。このビルは四階ですから、それほどきつくはないですけれど、子供にはきついのではないでしょうか。

 ちなみに、その子供、最後に一言「このへんで、濃いお茶が一杯怖い」。うそです。

2015年03月14日(土)

 家族がビスコを買ってきました。それで気づいたのは、その巧妙さ。買ったバージョンは一袋に、ビスコ二枚が入っているものですが、それが実に「足らない」感を呼び寄せます。

 この「足らない」感の前ではつい二袋目の封を切ってしまうのも、無常、というものでしょう。わけがわかりませんけれど。

 まあビスコは本来幼児向きの食べものなので、大人が食べると少なく思えるのは当たり前。が、それが、「足りない」感、ひいては「次々食べたくなる」になるところに、なんだか巧妙さを覚えたのでした。

 パッケージの子供も「巧妙」という言葉が似合いますし。

2015年03月15日(日)

 ゲオの宅配レンタルを始めたとき、考えたのは「近所の店にある作品は借りない」ということでした。宅配は送料分高くなるゆえです。

 そんな感じで漫然と日を送り、昨日、近所のゲオにふっと寄ってみたところ。あったのです。宅配で借りたやつ。おかしいですおかしいです。前来たときはなかったのに、どういうことですか。

 私の宅配履歴から「人気商品」認定され、店頭にも追加された、とか、私の目が節穴だった、とか、そんな理由かもしれません。百円少しの差とは言え、どうもミスしたような。

 しかし、ふっと店に寄らなければ気づかず暮らしていたわけで、暇もたいがいです。

2015年03月16日(月)

 同じ本を二回借りることがよくあります。「前読んだ本を再読」「途中で止めていたので再開」「資料用」と理由はいろいろです。

 この前も再びある本を借りたところ、驚きが。本の栞が、前に私が挟んだのと同じ位置にあったのです。

 別の人がやって偶然同じになるとは思いにくいので、栞が動いていない、ということでしょう。そこに、なにか以前の自分が残っているような気がしたのでした。

 それからは、本を借りるたび栞の位置を見て、前借りた人はここで挫折か、などと推理していますが、よく考えるとそんな例ばかりではない、と思います。

2015年03月17日(火)

 「耳たぶくらいの柔らかさ」。これが気になるのは、なにも「どんな柔らかさかわかりにくい」ということではありません。最初に言い出した人の存在が、興味を惹くのです。

 「考え込むと耳たぶを触る癖があった」のかもしれません。柔らかさを人に伝えようと、真剣に考え込んだところ、つい手が耳たぶへ。そして「これと同じ!」となったのでしょう。ほんとか。

 また「日常的に耳たぶを触っていた」可能性もあります。毎日触っていれば、それは「この感触、耳たぶだ」と想起されても不思議はありません。劇的な瞬間は、そこにあったのです。

 どちらも耳たぶを押さえつつ、真顔で。なかなか。

2015年03月18日(水)

 「作り笑い」はなんとなく良くないように思われています。検索しても「作り笑い 見分け方」「作り笑い 判断」など本当の笑いと区別しよう運動が多くありました。

 けれど不思議、「笑い作り」と言葉を置き換えてみると、途端なんだかハッピーではないでしょうか。「その笑い、なんだよ。本当に笑ってんの?」「これ、笑い作りよ」「わっはっは」「みんなの笑いも作っちゃったわね」ととにかく、楽しげです。

 「作った笑い」ではなく、「笑いを作る」と能動的になっているのがそのポイントで、多くの物事は見方次第でどうにかなる、と示しているようでもあります。レッツ笑い作り。
 「満点大笑い作り」まで行くのはやりすぎでした。

2015年03月19日(木)

 私は教室の、黒板の前に立っていました。黄色や白のチョークで名前が書かれていて、どうやら私もそこに誰かの名前を書かなくてはいけないのでした。白のチョークを私は取って「別役実」と書いたのです。

 夢は謎ですが、これは特に謎でした。ううむ。「好きな著者」とか「好きな偉人」とかを書くコーナーで、持ち前のサービス精神から奇を衒ってやろうと考えた記憶はあるのですが、夢なのではっきりしません。

 自分なりに夢の原因を考えてみると、ちょうどこの日、図書館で別役実さんの本を借りていました。それで「わーいわーい別役実だ」となって夢に登場した、のでしょうか。子供か。

2015年03月20日(金)

 散歩が趣味ですが、「こっち行ってみようぜ」と曲がり角をぐんぐん曲がっていくスタイルなので、ときどき迷います。あれは不安です。

 加えて小心者なので、見知らぬ床屋の看板を見ただけで「はさみを持った男が客の耳を削ぐシーン」が想起され、言いしれぬ恐怖にとらわれたりします。道はわからない、看板は怖い。やりきれません。

 それでもいつまでも帰らないわけにはいかないため、たまにある「周辺地図」を眺めます。が、大体の場合「現在地」が書いてないのです。周りの商店と地図を見比べる必要があります。

 その末に、やっと「ここがどこか、わからないのがわかった」へ辿りつきました。

2015年03月21日(土)

 たまに本を読むのが遅くなります。ガクッとスピードが落ちるのです。もとから速くないのがさらに落ちるわけで、五分で二行だけ、という例も珍しくありません。

 そこで気合です。音読に切り替えたり、いったん本から目を離して、「やれやれ、困ったもんだな」と目を細めて笑ったりして、気分を落ち着け、集中力に活を入れます。

 効くときは効くもので、さっと二行が読めたりします。普通の速度になっただけですが、なんだか達成感を覚えてしまうのでした。
 覚えるあまり、そのまま本を閉じたりもしています。

2015年03月22日(日)

 掲示板なのか、団地にそれは立っていました。ポスターが磁石で貼ってあります。が、問題はなによりその磁石。

 文字が書かれたタイプなのに上下が逆さま。どうしてこんなことに。まだ全部の磁石が逆なら、この世界の方が間違っているのさ、と哲学的ですけれど、そんなこともありません。一部だけ、逆さま。

 重なったニッセンのカタログがズレているだけで、直したくなる私にこの「逆さま磁石」はかなりの空しさでした。残念なことに、掲示板にはガラスが入っていて、手も出せないようになっています。

 こういうとき、念力っていいなあ、て思うんですよね。いいのか。

2015年03月23日(月)

 昔よく行った、あるガチャガチャコーナー。今日近くを通ったので、久しぶりに行ってみました。

 すると台数が増えています。前は二つ重なったのが三つ、の六台だったのが、二つ重なったのが四つ、の八台形式に変わっているのです。ガチャガチャ人気か、と前に立ったとき、私は見ました。

 全部が妖怪ウォッチ。これは。どの台を見ても妖怪ウォッチ関連のおもちゃやグッズが詰まっています。ガチャガチャ人気以上に、妖怪人気でした。

 もっとも、一台妖怪以外のものも発見。が、それは「なにがでるかな?」という謎系の台。たぶん中身は、妖怪だ。と、勝手に推理していました。

2015年03月24日(火)

 「ご隠居、私視力が0.2なんですが、一つ扶養手当をもらおうと思いまして」
 「扶養手当だって」
 「これから視力を育てていこう、とこういう所存でございます」
 「所存。そりゃ無理だよ」
 「そこをなんとか」
 「なんとかッてな、だいたい駄目だよ、『きんし』なんだから」

 朝からそんなことが浮かんだので書きましたが、いつもの落語風。

2015年03月25日(水)

 気になっているのは「お調子者」の存在です。いや、文章中ならかまいません。「お調子者ダヨーン」と書いてあっても、そうか、と思えるだけです。

 が、現実の「お調子者」とは一体。あなたはお調子者を見たことがあるでしょうか。私はあんまりありません。やはり、火事のとき枕を持って逃げ、酒席では歌い、花見ではネクタイを鉢巻きに、でしょうか。

 そしてお調子者最大の謎は、「お」。なんとなく「調子者」ならわかります。しかし「お調子」は。今日は朝からお調子がいいな、君の、お調子はどう? そんな人がいたら怖いです。

2015年03月26日(木)

 昨日NHK教育を見ていたら、女の子が話していました。
 「でね、それがすごく美味しかったの!」
 「ああー」
 「美味しかったのさ!」

 さ! これは心を打たれました。今まで「さ」のことなど考えてもみませんでしたが、こんなに豊かな表現だったとは侮れません。いい具合があります。

 考えれば、「そう」と言うより「そうさ」と言った方が明るいですし、格好良いのではないでしょうか。これからはもっと「さ」を活用しよう、と思ったのさ、です。

2015年03月27日(金)

 私は慄然としました。気がつくと、机に散らばっていた硬貨を「一、五、十、五十、百」と金額順に重ねていたのです。まあ、行為自体はなんでもありません。
 問題は、それを無意識にしていた、ということ。

 さらに昨日。本を読んでいると、見たい番組の時間が迫っていたのを思い出しました。リモコンを探して、スイッチを入れます。そして、思ったのです。

 「テレビは、電池切れがないからいいな」
 無意識の私は、なんなのでしょうか。

2015年03月28日(土)

 メモをとるとき、なぜかロゴ風に書いています。思えば習字教室に通って、丁寧な字を書けるようになっていれば良かったのですが、そんなことはなく。
 結果、普通に書くと平凡な字になってしまう。それならロゴ風ではどうか、ということになりました。

 例えば文字が立体風です。デンワなどカタカナにしたあげく、太さをつけ、ときには陰もつけたりします。また、筆記体や行書体風に書くこともあり、この前はこんな例がありました。

 「 ラ イ  ラ リ ー 

 読みにくい、という。

2015年03月29日(日)

 今までに見聞したことから、その人のある部分が出来上がっていく。「僕は岩波新書だけ読んで生きてきたよ」など、すごそうです。でも「全部で二冊」だったりすると、いけません。

 そんな中にいるのが「今まで新聞の四コマ漫画だけ読んで生きてきたよ」君です。これはなかなか惹かれます。彼の行動にはちょっとしたものがあるでしょう。

 「朝びしょ濡れでやってきたと思ったら、子猫に傘を差しだしていた」

 職場のみんなに広がる温かな笑い。すると彼は、顔に斜線を入れて、頭をかくのでしょう。照れの表現。一度、会いにいきたいな、と思います。

2015年03月30日(月)

 会話から部分を切り出してみると、意外なものだったりします。
 私「最初から死ぬつもり」

 映画の主役人物の心情について話したものなのですが、これだけを切り出すと、私が連続殺人を起こしたあげく探偵の前で自決しようとするような風情があります。たぶん微笑んでいます。

 家族のこの言葉はどうでしょうか。「撃たれたのは撃たれたけど」

 逃げ切った、と続きそうです。部分はミステリーなのでした。

2015年03月31日(火)

 空き地に「売家」と書かれた看板が立っていました。不思議なのは、どうも周りに売られている「家」らしきものが見つからないこと。いったいこれは、どうしたことでしょうか。

 不動産業界に詳しくないのではっきりしたことは言えませんが、ひとつ浮かんだ答えがあります。

 「テイクアウトで家を買われた」

 空き地は泰然と広がっています。

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